東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2470号 判決 1978年5月31日
控訴人・原告 神野弘香
訴訟代理人 片桐敬弌 外一名
被控訴人・被告 新潟市鳥屋野地区農業協同組合
訴訟代理人 逢坂修造 外一名
主文
一、原判決を左のとおり変更する。
新潟市堀之内字前沢三二三番宅地(登記簿上の面積二、一七八平方メートル)と同所三二二番一田(登記簿上の面積八一六平方メートル)及び同所三二二番二田(登記簿上の面積六五四平方メートル)との境界は本判決添付図面の(イ)点と(ロ)点を結ぶ直線であると確定する。
二、右の同所三二三番宅地のうち同図面の(イ)、(ロ)、(ニ)、(ハ)、(イ)の各点を順次結ぶ直線によつて囲まれた部分の土地一一七・三六三七平方メートルにつき被控訴人が所有権を有することを確認する。
三、訴訟費用は第一、二審とも各自の負担とする。
事実
控訴人は、主文第一項同旨及び訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする、との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めるとともに、本件予備的反訴の請求の趣旨1を本判決主文第二項のとおり訂正した。
当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は左のとおり附加するほか、原判決事実欄に記載されているとおりであるから、これをここに引用する。
(当審において控訴人が附加した主張)
一般に、換地処分は換地計画においてその内容が定められ、関係権利者にこれが通知されることによつて始めてその効果を生ずるものであるが、右通知は換地確定図等の換地関係書類に基いて行われるもので、現地における換地に関する指示は右通知の補助的手段にすぎない。従つて、換地相互の境界は換地確定図等の換地関係書類によつて定められるというべきであつて、現地における右指示によつて左右されないと解すべきである。
本件控訴人地(原判決にいう原告地、以下同じ)と被控訴人地(原判決にいう被告地、以下同じ)の両地は、亀田郷土地改良区の土地改良事業による換地計画に基く換地処分により区画、換地された土地であり、右両地はいずれも一時利用地に指定された後それがそのまま右換地処分により本換地となつたものである。ところで、右の一時利用地の指定の際両地の当時の権利者に対する通知に用いられた一時利用地指定通知書、土地使用区域調書、略図等の一時利用地指定関係書類、右の換地処分の際両地の当時の権利者に対する通知に用いられた換地計画書、確定図等の換地関係書類からみて、特に、右各関係書類記載の両地の間口、面積からみて、両地の境界が、控訴人の主張する本判決添付図面の(イ)点と(ロ)点とを結ぶ直線であることは明らかである。
加えて、右各関係書類の基礎となつた前記土地改良区作成の換地測量図(甲第二九号証)、更正図原図(甲第四六号証)記載の両地の間口、面積並びに、本件換地処分後になされ、又はなされようとした両地の地先の用悪水路の当事者双方に対する払下に関する払下関係書類記載の両地の間口および本件換地処分後になされた両地の登記にかかる登記簿記載の面積からみても右のことは極めて明らかである。
(当審において被控訴人が附加した主張)
控訴人の右主張は争う。
(当審における新たな証拠関係)<省略>
理由
一 控訴人が新潟市堀之内字前沢三二三番宅地、その登記簿上の面積二、一七八平方メートル(以下単に控訴人地という)を所有し、被控訴人が同所三二二番一田、その登記簿上の面積八一六平方メートル及び同番二田、その登記簿上の面積六五四平方メートル(以下両地を単に被控訴人地という)を所有していること、被控訴人抗弁にかかる取得時効の点を別にすると、控訴人地と被控訴人地の両地が隣接していることは当事者間に争がない。
二 そこで両地が接する部分の土地(本判決添付図面の(イ)、(ロ)、(ニ)、(ハ)、(イ)の各点を順次結ぶ直線によつて囲まれた土地、以下単に本件係争地という)附近の占有状況等について検討する。本件係争地附近の写真であることが当事者間に争がない甲第四三号証の一ないし二九、原審証人渡辺三作の証言によつて同所附近の写真であると認められる乙第五号証、原審における検証の結果によると、本判決添付図面の(ハ)点には木製杭とコンクリート杭が、同図面の(ニ)点にはコンクリート杭がそれぞれ存在し、右(ハ)点と右(ニ)点を結ぶ直線(以下(ハ)(ニ)線という)上に控訴人が設置した有刺鉄線を張つた木柵があり、その北側(本件係争地を含む側)は約七〇センチメートル土盛りされて南側の控訴人地より高くなつており、右木柵から南方五〇センチメートルを隔てたところに控訴人方の倉庫の北側壁が位置し、控訴人が(ハ)(ニ)線より南側を、被控訴人が同線より北側をそれぞれ占有、使用していることが認められ、これに反する証拠はない。
次に、控訴人地、被控訴人地の両地及び、本件係争地の沿革等について検討する。昭和三〇年当時、右両地を含む附近一帯の土地が訴外亀田郷土地改良区の行う土地改良事業の施行地域であつたことは当事者間に争がなく、前掲証拠に成立に争のない甲第一ないし第三号証、第六、第七号証、第二九号証、原本の存在とその成立につき争のない甲第四六号証、成立に争のない乙第一号証の一ないし三、第二、第三号証の各一ないし四、第四号証の一、二、及び成立に争いのない乙第六号証と本件弁論の全趣旨とによつて原本の存在とその成立(同原本は同土地改良区の作成)を認めうる甲第五号証、並びに原審証人南部久市、茅原七衛、青山孝一、木原保、水野惣一、滝沢重吉の各証言を総合すると次のとおり認定することができる。同土地改良区は、昭和三〇年五月二日頃訴外水野惣一に対し被控訴人地並びにこれの北側に隣接する同所三二一番一田および同番二田(この二つの田を以下単に北側隣接地という)を、訴外茅原七衛に対し控訴人地を、それぞれ一時利用地として指定した。同土地改良区は、一時利用地の指定に当つては被指定者に対し、一時利用地指定関係書類による指定地の通知をするほか、同区係員が現地に赴き、各指定地の境界に畦畔を設置し、その両端に木製境界杭を打ち込むこと等により現地においても各指定地を指示するのが通常であつたが、控訴人地と被控訴人地の指定についても右の例外ではなく、同土地改良区は右水野、右茅原に対し一時利用地指定関係書類により通知するとともに同区係員を派遣して現地における指示をした。その際同区係員は(ハ)(ニ)線上に畦畔を設置し、本判決添付図面の(ハ)点、(ニ)点に木製杭を打ち込んだ。水野、茅原はともに右指示による(ハ)(ニ)線が両地の境界として正しいものと信じて疑わず、両地の実測等をすることもなく、右(ハ)(ニ)線を両地の境界として、それぞれ自己に指定された一時利用地として両地(水野についてはその北側隣接の指定地を含めて)の使用を開始した。両名は、昭和三〇年六、七月頃右(ハ)点、(ニ)点の木製杭が腐るおそれがあるところから、双方合意、立会の上、右(ハ)点と(ニ)点にさらにコンクリート杭を打ちこんだ。その後本件土地改良事業の換地計画に基き水野、茅原に対して換地処分がなされ、両名に対し換地関係書類による本換地の通知がなされて、右換地処分は昭和三五年九月一四日頃その効力が生じたが、右処分により水野、茅原に本換地された土地は前記一時利用地として指定された土地と全く同一の場所、区画、範囲の土地であつた。そのため両名は、本換地の際も本換地された土地につき実測等をすることもなく、前記(ハ)(ニ)線の境界を本換地された被控訴人地、控訴人地の境界と信じて疑わず、同線を境界としてそれぞれ自己に本換地された当該土地(水野については北側隣接の本換地を含めて)につき所有者としての使用、占有を開始した。控訴人は右茅原から昭和三六年四月頃及び翌三七年四月頃の二回にわけて、本換地された控訴人地を、これが右各関係書類記載の面積六五九坪あるものとして買受けたが、この売買に際し控訴人は現地で前記畦畔と右(ハ)点、(ニ)点のコンクリート杭を確認したので、(ハ)、(ニ)線を被控訴人地との境界と信じ、特に実測等をすることもなく、昭和三六年秋頃に右畦畔を基準にして控訴人地の埋立てをし、昭和三七年一〇月二二日頃(ハ)(ニ)線から五〇センチメートル隔てて自己の倉庫を建築し、同線上に木柵をつくり、有刺鉄線を張つた。一方被控訴人は右水野から昭和三八年一〇月頃及び翌三九年二月頃の二回に分けて、本換地された被控訴人地及び北側隣接地を、これらの合計が右各関係書類記載の合計面積六七六坪のものとして買受けたが、この売買に際し被控訴人組合長理事らは水野の指示により現地で前記畦畔と右(ハ)点、(ニ)点のコンクリート杭を確認し、かつ、前記のように埋立てられた控訴人地、前記のように建てられた控訴人の倉庫をみて、(ハ)(ニ)線が被控訴人地と控訴人地との境界と信じて、特に実測等をすることもなく、その頃被控訴人地及び北側隣接地の引渡しをうけてこれの占有をはじめた。その後控訴人は、昭和四七年に新潟県が県道和合線を拡幅するため控訴人地先を測量するに際し、同県からその測量を請負つた測量会社に指摘されてはじめて前記換地処分関係書類記載の控訴人地と被控訴人地との境界と現地のそれとの間に齟齬があり、控訴人地の間口、面積は(ハ)(ロ)線をもつて劃する現地の間口、面積より本来広いものであることに気付き、このため本件紛争が惹起されるにいたつた。かように認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
三 進んで、本件係争地附近の関係書類の記載について検討する。
本件係争地の占有状態とその沿革等については右二に認定したとおりであるが、この認定事実に前出甲第一ないし第三号証、第五ないし第七号証、第二九号証、第四六号証、乙第二、第三号証の各一ないし四、第四号証の一、二、成立に争のない甲第一八、第一九号証、第二二、第二三号証、第三〇ないし第三二号証、第三四号証、原本の存在とその成立に争のない甲第四七号証、原審証人南部久市、茅原七衛、青山孝一、木原保、青木巽、水野惣一、滝沢重吉、山岸栄吉、原審における鑑定人清野力の鑑定の結果、原審における検証の結果を総合すると次のとおり認定することができる。
前記茅原七衛に通知された前記認定の一時利用地指定関係書類及び換地関係書類記載の控訴人地の面積、右各関係書類等によつて本件換地処分後なされた控訴人地の登記簿上の面積はいずれも本判決添付図面の(イ)、(ロ)、(2) 、(7) 、(イ)の各点を順次結ぶ直線で囲まれた土地の面積にほぼ等しく、この面積はまた右各関係書類の基礎となつた換地測量図(甲第二九号証)、更正図原図(甲第四六号証)各記載の控訴人地の面積にほぼ等しく、右更正図原図記載の同地の間口は本判決添付図面の(7) 、(イ)の各点間及び(2) 、(ロ)の各点間の各距離にほぼ等しく、この各距離は、本件換地処分後の昭和四二年九月四日なされた控訴人地先の用悪水路の控訴人に対する払下に関する払下関係書類中の控訴人地の間口の当初の記載にほぼ等しい(成立に争のない甲第三〇号証によると右の当初の右間口の記載三三・一八メートルが昭和四六年一二月二八日に三一・五八メートルと訂正されていることが分るが、前掲各証拠からすると、右訂正は右に説示した各書類、更正図原図の控訴人地及びその附近の土地の面積、間口に関する記載と符合しないのみならず、訂正当時の右用悪水路の権利者たる控訴人の充分な了解をえることなく右土地改良区においてこれをなしたものであることが認められるのであつて、右訂正の正確性、正当性はとうてい首肯しえない。)。
また、前記水野惣一に通知された前記認定の一時利用地指定関係書類及び換地関係書類記載の被控訴人地及び北側隣接地の各面積、右各関係書類等によつても本件換地処分後なされた被控訴人地及び北側隣接地の登記の登記簿上の各面積はいずれもそれぞれ本判決添付図面の(イ)、(ロ)、(D)、(I)、(イ)の各点を順次結ぶ直線で囲まれた土地の面積及び同図面の(I)、(D)、(ヘ)、(ホ)、(I)の各点を順次結ぶ直線で囲まれた土地の面積にほぼ等しく、この各面積はまた右各関係書類の基礎となつた換地測量図(甲第二九号証)、更正図原図(甲第四六号証)各記載の被控訴人地及び北側隣接地の各面積にほぼ等しく、右更正図原図記載の両地の間口は本判決添付図面の(イ)、(I)(又は(ロ)、(D))の各点間及び(I)、(ホ)(又は(D)、(ヘ))の各点間の各距離にほぼ等しく、同図面の(イ)、(ホ)(又は(ロ)、(ヘ))の各点間の距離は昭和四二年九月一三日頃なされようとした被控訴人地及び北側隣接地先の用悪水路の被控訴人に対する払下関係書類中の両地の間口の合計の記載にほぼ等しい。
かように認めることができ他にこれを左右すべき証拠はない。
四 次に本件境界について考察する。
以上、二、三に各認定した事実及び本件弁論の全趣旨からすると、本件換地計画によつて定立され、本件換地関係書類によつて本件各当事者の前所有者たる前記茅原、水野に対し通知された換地処分により本換地となつた控訴人地と被控訴人地とは、本判決添付図面の(イ)、(ロ)の各点を結ぶ直線(以下(イ)、(ロ)線という)で隣接するものであるが、亀田郷土地改良区係員が前記のように現地において同境界を指示した際誤つてこれを(ハ)、(ニ)線であると指示し、そのため両地につき、換地関係書類及び公簿上の面積と実測上の面積との間に通常許容されうる測量上の誤差を超える齟齬が生じ、これが本件紛争を惹起したと認められ、他にこの判断を左右すべき資料はない。右の事実によれば、本件両土地の境界は、換地計画に基づきなされた前記換地処分により成立したものであるから、一時利用地指定の際に土地改良区係員による現地における境界の指示がこれと異つていたとしても、右換地処分により設定された両地の境界に影響を及ぼすものではないというべきである。従つて、本件境界は(イ)(ロ)線であると認めるのが相当である。
五 そこで、被控訴人の抗弁について判断する。本件係争地の所有権を時効によつて被控訴人が取得したことは後記説示のとおりであるところ、これにより控訴人が本件境界確定の訴について当事者たる適格を失うか否かについて考察する。
後記認定のとおり、被控訴人によつて本件係争地が時効取得される結果、同所三二三番の土地中控訴人の所有する土地部分は被控訴人地と隣接しないことになる。しかしながら、本件においては、公簿上控訴人を所有名義人とする同所三二三番の土地と被控訴人地とは隣接する関係にあり、かつ、右のように被控訴人により時効取得された本件係争地は、登記簿上控訴人地すなわち同番の土地と表示されている土地の一部であつて、控訴人は依然として同番の土地の他の部分の所有者である。そして、同番の土地につき被控訴人による取得時効が成立するか否か及びその対象となる土地部分の範囲は本件両地の境界が奈辺にあるかにより定まる関係にあり、右取得時効にかかる土地部分を含めて控訴人所有地として公示されている同番の土地と被控訴人所有にかかる隣接地番の土地との境界が不明確であることが両者間の本件紛争の基本的原因をなしているものであるから、控訴人は、本件境界を確定するにつき法律上の利益を未だ矢わず、当事者たる適格を有するものと認めるべきである。
従つて、本件係争地を被控訴人が時効により取得したので、本件境界確定の訴については控訴人は当事者適格を欠くものであるとする被控訴人の抗弁はこの点で採用できないものであり、本件につき本件境界は控訴人主張のとおり(イ)、(ロ)線と確定する本案裁判をするのが相当である。
六 被控訴人の予備的反訴につき判断する。
前記二、三に認定した事実からすると、被控訴人は本件係争地の占有を水野惣一から承継し、水野は昭和三〇年五月二日頃本件係争地の占有を開始したことが明らかであるが、水野の右の占有は本件一時利用地の指定に基づいて開始されたものであるから、同人が本件係争地につき所有の意思をもつて占有を開始したということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。従つて、被控訴人の同日頃を起算日とする取得時効の主張は、再抗弁1を判断するまでもなくこの点で理由がなく採用し難い。
しかし、前記二、三に認定した事実によれば、水野は本件換地処分が効力を生じた昭和三五年九月一四日頃本件係争地を自己所有のものと信じ、所有の意思をもつてこれの占有を開始したこと、その後本件係争地につき被控訴人が水野の占有承継人となり、昭和四五年九月一四日頃もこれを占有していたことが明らかである。控訴人は、水野は本件係争地の占有開始にあたりこれが自己所有のものでないことを知つていたと再抗弁(再抗弁2)するが、これの理由のないことは前記二、三の認定事実から明らかであり、右再抗弁は排斥を免れない。
そして水野が右のように本件係争地を自己のものと信じたことについては右認定事実およびこの認定に用いた各証拠によつて次の事実を認めることができる。
(1)前記のとおり本件一時利用地指定の際前記土地改良区の係員は現地において本件境界を畦畔、木製杭等により(ハ)(ニ)線であると明示した。(2) 当時同土地改良区の係員による右の指示に前記のような過誤があるなどとは水野にとつてとうてい考え難いところであつた。(3) 当時本件係争地及びその附近の土地につき登記簿、公図等が未整備であつて水野はこれらの閲覧をすることができなかつた。(4) 本件係争地の面積は被控訴人地の面積に較べて僅少であつたので、当時水野にとつて本件係争地が被控訴人地に含まれていないと気付くことは困難であつた。(5) 右指定の際、水野は被控訴人地とともに北側隣接地についても同時に一時利用地の指定を受けたので、右のことは水野にとつて一そう気付きにくいものであつた。(6) 昭和三五年九月一五日頃効力を生じた本件換地処分により水野に本換地された被控訴人地、北側隣接地は同人に対する一時利用地と同一の場所、区画、範囲の土地とされたので、右の本換地についても右(1) ないし(5) の状況はそのまま引継がれ、水野は前記一時利用地がそのまま本換地として自己のものになり、(ハ)、(ニ)線の境界に変動はないと信じて疑わなかつた。(7) 前記茅原七衛もまた右と同様(ただし右(5) を除く)の状況の下で本件境界は(ハ)、(ニ)線であると信じ、本件係争地は自己の所有に属しないものと考えていたので、当時は格別の問題も生じなかつた。
かように認められるのであつて、これらの事実に鑑みるとき、水野が昭和三五年九月一四日頃本件係争地を自己のものと信じてこれの占有を開始するにあたり、同人がそう信じたことについて同人に過失がなかつたと認むべきであり、他にこの判断を左右すべき証拠はない。
そうすると、水野の占有承継人たる被控訴人は本件換地処分後一〇年を経過した昭和四五年九月一四日頃時効により本件係争地を取得したというべきであり、同地の所有権の帰属につき当事者間に争があることは本件弁論の全趣旨により明らかであるから、同地に対する被控訴人の所有権の確認を求める被控訴人の予備的反訴請求は理由がある。
七 以上の次第で、控訴人の本訴請求については控訴人主張のとおり本件境界を確定すべきであり、これと異る原判決は本判決主文第一項のとおり変更を免れず、控訴人の本件控訴は理由があるが、被控訴人の予備的反訴請求もまた理由があり、本判決主文第二項のとおり認容すべきものである。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九六条、第九二条本文に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長 判事 外山四郎 判事 海老塚和衛 判事 鬼頭季郎)
(別紙)<省略>